マードック

2011年には英国でも画期的な直接行動が行われました。夏場の大規模スト(75万人)に続いて11月30日には200万人が参加する戦後最大のゼネストが行われました。中心となったのは公共部門労働者の組合です。教職員や病院職員、清掃職員、消防士、国境警備員など約30の官公労組の連合が24時間ストを決行しました。公立学校の6割が休校となり、自治体職員の半分以上がストに参加、英国全土で1千件に上るデモや集会が行われ歴史に残るゼネストとなりました。転機を迎えた英国の労働運動と、メディアが果たしてきた抑圧t激な役割を取り上げます。(16分)
ルパート・マードックのメディア帝国に逆らえば当選できないと悟った始めての英国首相は、マーガレット・サッチャーだったと言われます。遠路はるばるオーストラリアまでご挨拶に出向き、マードック氏の新聞サン紙を手にチェシャ猫のような笑顔で写真に収まったトニー・ブレア、おそらくやばいことになるとわかってはいながら、盗聴や賄賂による取材にまみれたマードック帝国の元編集幹部を広報担当者として雇わざるをえなかったキャメロン。マードック盗聴スキャンダル暴露の渦中にリリースされた、このウェブエクスクルーシブ・セグメントの中で、ゲストでアルジャジーラのメディアウォッチ番組「リスニングポスト」の司会者、リチャード・ギズバードは、マードック帝国に戦々恐々とする歴代の首相の姿を語っています。(34分)
2011年7月に英国を揺るがしたマードック帝国スキャンダル事件。だが、この事件が国をあげての調査と告発の対象になるまでには、3年間にわたる事件記者の地道な調査活動が必要だった。書かれた記事は、75本。英ガーディアン紙で仕事するニック・デイビス記者の快挙だった。(19分)
 ルパート・マードックのニューズ・コーポレーションのような単一の企業が、単一の市場で新聞社と放送局の両方を同時に所有することを容易にするFCC(連邦通信委員会)の規制緩和の一部を、連邦控訴裁判所が破棄しました。訴追を行ったプロメテウス・ラジオ・プロジェクトの政策ディレクターであるブランディ・ドイルに話を聞きます。ドイルは、今回の判決はメディアの多様性を求める声の勝利であるとした上で、「メディアの集中で特にひどい影響を受けるのは、メディア制度の中で歴史的に権利を奪われてきた、女性、有色人種、労働者、貧困層など、米国のメディアに声が反映されてこなかった人々です」と語ります。  FCCは1975年に、同一市場にある新聞社と放送局との結合を禁止する規則を採択しました。これがいわゆるクロスオーナーシップ禁止規則です。しかし、90年代以降、インターネットの登場をはじめとするメディア状況の変化の中で、この規則の必要性と根拠が改めて問われることとなりました。特に1996年の電気通信法制定以来、メディア市場において自由競争を促進することが公共の利益となるという立場から、クロスオーナーシップ規制の緩和を進めてきました。  そのような状況の下、2003年にFCCが打ち出した大胆な規制緩和方針には、様々な公益・消費者団体、放送・新聞事業者などから激しい反発がありました。司法審査の申立てを受けた連邦控訴裁は翌年、この方針の一部をFCCに差し戻しました。これはプロメテウス事件と呼ばれています。その後、2007年にFCCは新たな規制緩和方針を採択しました。これは2003年の方針を大幅に修正し、これまでの規則に多少の変更を加えるにとどめたものでしたが、いくつかのローカル市場においては新聞と放送の結合を許すものとなっていました。これに反発したプロメテウスは再び訴訟を提起していましたが、今回の判決はこれに対するものです。 (文責:丸山紀一朗) ※参考:山口いつ子『情報法の構造』東京大学出版会、2010年。