2010年第1巻(通巻15) 公民権運動

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2010年度第1巻のテーマは「公民権運動」。長い長い時間をかけて醸成された同じ人間としての権利の要求が、堰を切って溢れ出した公民権運動。成功の決め手は非暴力不服従でしたが・・・

☆付録の対訳小冊子は、「フリーダムライダーズ 人種隔離バスへの抵抗」です。それぞれの動画の詳細は、画面をクリック

 

2010年度第1巻のテーマは「公民権運動」。長い長い時間をかけて醸成された同じ人間としての権利の要求が、堰を切って溢れ出した公民権運動。成功の決め手は非暴力不服従でしたが・・・

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150年前、奴隷制度廃止論者ジョン・ブラウンは、南部の黒人奴隷たちの決起を促そうとハーパーズフェリーにある連邦政府の兵器庫を襲撃しました。この企みは失敗し、ブラウンは絞首刑になりました。歴史家ハワード・ジンによる『民衆のアメリカ史』は、無数の声なき民の言葉によって米国の歴史をつづった古典的名著です。同書の朗読会から、ジョン・ブラウン本人のことばを聞いてみましょう。絞首刑を宣告したバージニア州の法廷におけるブラウンの最終弁論を、俳優ハリス・ユーリンが朗読します。それに続き、俳優ジェームズ・アール・ジョーンズによるフレデリック・ダグラスのスピーチの朗読もお聞き下さい。(2009年10月16日放送)

* ハワード・ジン (Howard Zinn) 『民衆のアメリカ史』朗読会より


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1863年のリンカーンによる奴隷解放宣言と2年後の憲法修正条項により奴隷制度は廃止され、奴隷を財産として登記したり、人に譲渡したりすることはできなくなりました。でも南部諸州では一連の新立法によって、アフリカ系の人々を脅して参政権の行使や経済的な成功を阻み、多数の人々を隷属状態に引き戻しました。とくに当時は保安官や裁判所が服役中の囚人を貸し出す制度があったことから、多くの人々が鉱山や林業の会社で強制労働につかされました。貸し出された囚人たちの多くが無実でした。浮浪や定職を持たないことが犯罪であった時代に、黒人をターゲットに人間狩りともいえる不当な逮捕が行われ、過剰な罰金を科し、それを支払うために劣悪な環境で強制労働させるという悪辣なシステムが語られます。(2008年7月11日放送)

ダグラス・ブラックモン(Douglas Blackmon)ウォールストリート・ジャーナル紙アトランタ支局長Slavery by Another Name: The Re-Enslavement of Black Americans from the Civil War to World War II(『奴隷制と呼ばれない奴隷制 南北戦争から第二次世界大戦にかけての米国黒人の再奴隷化の歴史』)の著者


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リベラルな白人たちをもまきこんだ人種差別撤廃運動は1964年の公民権法制定で輝かしい勝利をおさめましたが、1968年にはマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師に続きロバート・ケネディ上院議員も暗殺され、ベトナム戦争が継続する中で米国社会の暴力と緊張が高まりました。若者たちは怒りと不満を爆発させ、都市部の黒人ゲットーでは暴動が起こり、警察による暴力的な鎮圧と対峙していました。そんな中から生まれたのが、ブラックパンサーの運動です。当時第3世界で勢いを得ていた革命運動と民族の自治に向けてのエンパワメントの動きに刺激され、自己防衛のための武装を肯定し、コミュニティに浸透していく運動は、FBIや検察・警察当局にとって放置できない脅威と映りました。FBIには1950年代半ばから、共産主義つぶしのための秘密プログラムCOINTELPROがありました。どんな汚い手を使ってでも反体制組織をつぶせという同プログラムは、やがて公民権運動とその指導者に矛先を向け、1960年代末にはブラックパンサーが主な標的になりました。(2009年12月4日放送)

ジェフリー・ハース(Jeffrey Haas)1969年シカゴで「民衆の法律事務所」を共同創設。ハンプトン殺害を指揮したハンラハン検事らを提訴した弁護士。The Assassination of Fred Hampton: How the FBI and the Chicago Police Murdered a Black Panther(『フレッド・ハンプトン暗殺:いかにしてFBIとシカゴ市警が1人のブラックパンサーを殺したか』)の著者。


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南部では人種分離法によって、学校もレストランもトイレや乗合バスの座席も、はては救急車までもが白人用と非白人用に分けられていました。これに抗議するボイコットや座り込みが広がり、連邦最高裁判所は1960年末に、南部の人種隔離法は憲法違反であるとする判決を出しました。でも南部はこれに従わず、連邦政府も強制措置はとらず、差別の実態はなにも変わりませんでした。その半年後、10人あまりの黒人と白人のグループが南部行きの長距離バスに一緒に乗り込み、人種による座席の区別を公然と破ってみせました。彼らは自分たちを「フリーダムライダーズ」と呼び、身の危険を賭して連邦政府の姿勢をただしたのです。白人至上主義者から暴行されたり、地元警察に逮捕されたりで、先発グループが途中放棄を余儀なくされると、次のグループが出発しました。暴力にひるむどころか、次々に志願者が現われ、全米から集まった400人以上のライダー達でミシシッピの刑務所が一杯になったと言います。こうした命がけの非暴力抵抗運動の結果、ついにバス停や駅から人種分離の標識が撤廃されました。(2010年2月1日放送)

スタンリー・ネルソン(Stanley Nelson) 映画作家。映画 The Freedom Riders.の監督。他の作品には、The Murder of Emmett Till and Wounded Knee.などがある。
ベルナール・ラフィエ(Bernard Lafayette) エモリー大学の宗教・紛争・平和構築教授。1961年ナッシュビル=ニューオーリンズ間のフリーダムライドに参加した。
ジム・ツワーグ(Jim Zwerg) 1961年ナッシュビル=ニューオーリンズのフリーダムライドに参加。アラバマ州モンゴメリーで群衆に襲われて重傷を負った。


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オバマ政権を批判すれば、彼を仇敵としてつけ狙う右翼保守派に加勢することになりはしまいかと、黒人リベラル派はオバマ批判を控えてきました。そんな彼らがついに堪忍袋の緒を切らす事件が起こりました。オバマは2009年12月のノーベル平和賞の授賞演説で、やはり同賞を受賞したキング牧師に言及し、尊敬の意を表しながらも、「キング師はアルカイダを知らなかった」と述べ、意図的ではないにしろキング牧師とその思想そしてガンジーの非暴力の思想の無力を語り、自らのイラクやアフガニスタンでの戦争の正当性を論じました。これは、キング牧師をともに公民権運動を支えた人々にとっては「平手打ちをくらった」ような発言でした。このオバマ発言に対抗し、タビス・スマイリーは、彼の特別番組の中でキング牧師の1967年の反戦演説「ベトナムを超えて」に焦点を当て、ベトナム反戦を唱えたキング牧師の晩年の勇気と孤独を浮き彫りにしました。軍国主義・貧困・人種差別のつながりを見抜き、反戦を説いたキング牧師の発言は、当時の時代背景の中では大変な勇気を必要とするものでした。この演説からちょうど1年後、キング牧師は暗殺されます。(2010年3月29日放送)

タビス・スマイリー(Tavis Smiley) テレビ司会者、PBS(公共放送)「タビス・スマイリー・ショー」などで活躍。


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2010年度第1巻のテーマは「公民権運動」。長い長い時間をかけて醸成された同じ人間としての権利の要求が、堰を切って溢れ出した公民権運動。成功の決め手は非暴力不服従でしたが・・・

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