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2018年6月20日(水)

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  • トランプ大統領は先週「我が国の最大の敵は、フェイク・ニュースだ」とツイートし、米国メディアを攻撃しました。この最新のメディア攻撃に先立つ1週間前、連邦検察局は、上院情報委員会に関するいくつかの重大記事を暴露したジャーナリストのアリ・ワトキンスの数年にわたる電話と電子メールのデータを秘密裏に取得したことを明らかにしました。同委員会の元上級補佐官、ジェームズ・ウォルフは、報道関係者との接触についてFBIに虚偽の証言をしたとして告訴されています。折しも、国境なき記者団(Reporters Without Borders)は、本年度の「報道の自由度 年間ランキング」で、米国を45位に下げました。同団体が2002年に最初にこのリストを発表したとき、米国は17位でした。米国で最も有名な調査報道ジャーナリスト、セイモア・ハーシュに話を聞きます。彼は半世紀以上にわたる自らのスクープと、掘り起こした数々の秘密を振り返り、新しい本を出しました。タイトルはReporter: A Memoir.(『記者:ある回想録』)です。

  • 1968年3月16日、米国がベトナムのソンミ村ミライ集落でいかにして500人以上の女性や子供、老人を虐殺したかを報道して、セイモア・ハーシュは、1970年のピューリッツァー賞を受賞しました。この事件はソンミ(ミライ)の大虐殺として知られるようになりました。ニューヨーク市でセイモア・ハーシュと話します。

  • セイモア・ハーシュは、調査報道記者としてニクソンのカンボジア爆撃からCIAがチリのサルバドール・アジェンデ政権転覆に果たした役わりまで、政府の最も深い秘密の多くを暴露しました。記者になる前、彼は1968年の大統領選挙選で民主党の予備選に立候補したユージン・マッカーシーの報道官を務めました。これまであまり語られたことのないこの当時のハーシュの人生について、ニューヨーク市で話を聞きます。

  • リチャード・ニクソン大統領が1974年に辞任した直後に、セイモア・ハーシュはカリフォルニア州の病院のある情報筋から電話を受けました。彼は、ニクソンが1974年の辞任前に妻を激しく殴ったため、妻が緊急治療室で治療を求めたことを知りました。ハーシュはその話を記事にしませんでした。数年後、彼はこの選択に対して批判を受けました。ニューヨークでセイモア・ハーシュに話を聞きます。ニクソンの妻への殴打を報道しないと決めた決断について、ハーシュは「それが犯罪であるということに私は鈍感でした。私には分かっていなかった」と語ります。

  • セイモア・ハーシュはニューヨーク・タイムズのワシントン支局で働いていた頃、記者たちが当時の国務長官ヘンリー・キッシンジャーに毎日のように電話をして彼のコメントを忠実に書き留め、そのまま一面のニュースにするのを目にしました。これは、ハーシュが新刊の回想録Reporter: A Memoir.(『記者:ある回想録』)で語った数多くのエピソードの1つです。受賞歴のある調査報道ジャーナリスト、セイモア・ハーシュに、キッシンジャーについての彼の長年の報道について話を聞きます。「キッシンジャーについて私がいつも、何度も繰り返し公言してきたことは、人々は眠れないとき羊を数えますが、キッシンジャーは残りの生涯、焼かれたり、障害の残る傷を負わされたカンボジアとベトナムの赤ちゃんの数を数えるべきだ、ということです。しかしもちろん、彼はそんなことはしません」

  • 2004年、調査報道記者のセイモア・ハーシュは、イラクのアブグレイブ刑務所での囚人虐待事件を暴露して、世界に衝撃を与えました。米軍人や関係者たちが、アブグレイブでイラク人囚人を屈辱的な目にあわせ、拷問している衝撃的な写真に、世界中から抗議の声が上がりました。米国内でも非難が起こり、聴聞会や捜査、責任追及の糾弾がなされました。当時の調査について、14年後のいま、ハーシュに話を聞きます。

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