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2016年5月2日(月)

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  • 今日は時間いっぱいを使って、伝説的な反戦司祭のダニエル・ベリガン神父の生涯と功績を振り返ります。ベリガン神父は4月30日、95歳の誕生日を間近に亡くなりました。詩人であり、平和主義者であり、教育者であり、社会活動家であり、劇作家でもあったベリガン神父は、「米国の軍事的帝国主義」と自らが名付けたものに対する抵抗を生涯貫きました。亡くなった弟フィリップとともに、1960年代後半の反戦運動や徴兵反対運動、その後の核兵器反対運動の広がりに大きく貢献しました。ベリガン神父は、FBIの最重要指名手配リストに載った最初のカトリック司祭でもあります。1968年初頭に歴史家ハワード・ジンと北ベトナムに赴いて米国人戦争捕虜3人を連れて帰ったことは、世界的なニュースとなりました。同年にはさらに、弟のフィリップら総勢9人でメリーランド州ケイトンズビルの徴兵委員会から378部の徴兵記録を持ち出しています。9人はこの徴兵記録を徴兵委員会の事務所の駐車場で燃やしました。ベトナム戦争に抗議するため、燃料には自作のナパームを使いました。彼らは「ケイトンズビル事件の9人」として知られることとなり、100件を超える同じような抗議活動の引き金となり、反戦運動に活気を与えました。この事件は、伝統を重んじるカトリック教会の土台を揺るがすこととなりました。ベリガン兄弟はさらにほかの6人の活動家と1980年、ペンシルバニア州キング・オブ・プルシアにあるゼネラルエレクトリック社の核ミサイル施設に侵入し、核弾頭をハンマーで叩き、文書やファイルに血を注ぐ行動を決行、「プラウシェアズ運動」を発動しました。活動家らは逮捕され重罪・軽罪合わせて10件以上を問われ、「プラウシェアズの8人」として知られることとなりました。

  • 俳優で活動家のマーティン・シーンは、映画In the King of Prussia(『キング・オブ・プルシアにて』)で裁判官を演じ、これをきっかけにダニエル・ベリガン神父の親しい友人となったと言います。同作品では、1980年にベリガン兄弟とそのほかの6人が、ペンシルバニア州キング・オブ・プルシアにあるゼネラルエレクトリック社の核ミサイル施設に侵入し、「プラウシェアズ運動」を始めた経緯が描かれます。マーティン・シーンは1986年、ダニエル・ベリガン神父と共にニューヨーク市で逮捕されました。ダニエル神父の死の知らせを聞いた時、伝説的な聖職者と逮捕されたこの日のことを思い出したとマーティン・シーンは言います。「崇高な理想のために初めて逮捕されたこの日は、生涯で最も幸せな日でもありました」

  • 伝説的な反戦司祭で活動家、詩人のダニエル・ベリガン神父が94歳で亡くなりました。今日は時間いっぱいを使って、ベリガン神父の生涯と功績を振り返ります。ダニエル神父はここ20年、デモクラシー・ナウ!にも繰り返し登場してきました。2002年には、911攻撃後の一年を振り返る4時間の特別番組に出演しました。ダニエル神父はここで、911攻撃について語るとともに、1968年に歴史家ハワード・ジンと北ベトナムを訪れ、毎夜防空壕で過ごした経験についても語りました。「自国が落とす爆弾の下で身を潜めた経験は貴重な教訓となりました」。

  • 伝説的な反戦司祭で活動家、詩人のダニエル・ベリガン神父が94歳で亡くなりました。2006年のデモクラシー・ナウ!のインタビューを再放送します。85歳の誕生日を記念したこのインタビューでベリガン神父は、「米国の軍事的帝国主義」と自らが名付けたものに抵抗し続けたその生涯について語りました。ベリガン神父は1965年、弟のフィリップ・ベリガンとともに、ロバート・マクナマラ国防長官と言葉を交わしたことがあります。「私は国防長官にこんな風に言ったんです。『今朝も戦争を止めませんでしたね。今夜には止めるのでしょうか』。すると国防長官は、私の左耳の後ろを見やるようにして言いました。『ベリガン神父と皆さん方にこれだけ言っておきます。ベトナムはミシシッピのようなものです。法に従わない者がいるなら、部隊を送るまでです』。彼はそう言って口をつぐみました」とベリガンは振り返ります。「翌朝ニューヨーク市に戻り、当時出版していた雑誌の秘書に、『この発言をメモしておいてくれ。2週間もしたら自分の耳が信じられなくなりそうだから』と言いました。国防長官の口調はまるでアラバマ州セルマの保安官のようでした。誰の法だというのでしょう?いったい誰の法に従わないというのでしょう。戦争はその程度の感覚で行われていたのです」

  • 4月30日に94歳で亡くなったダニエル・ベリガン神父の姪、フリーダ・ベリガンが、彼女の家族と彼女自身に神父のアクティビズムが与えた影響を語ります。フリーダもまた、生涯をかけて活動を続ける平和活動家で、ニュースサイトWaging Nonviolence(「行動する非暴力」)にも定期コラムを連載しています。ダニエル神父のそばで育ったフリーダが、個人的な思い出を交えて神父の生涯を振り返ります。神父の部屋の壁はいつも芸術作品で埋め尽くされ、親しい活動家や家族と夜遅くまで話すのが好きだったと言います。「(ダニエル神父が育てたコミュニティは)あらゆることが可能なのだという感覚を私に与えてくれました。もしも私たちが良心で行動すれば、力を合わせて行動すれば、何かに突き上げられて動くなら、途方も無いことを成し遂げることができるのです」

  • 94歳で亡くなった伝説的な反戦司祭で活動家、詩人のダニエル・ベリガン神父について親しい友人たちに話を聞きます。「私はダンをいつも、マハトマ・ガンジーやマーティン・ルーサー・キング、ドロシー・デイのような偉大な人々の一人と考えていました」と、カトリック司祭で長年平和活動に従事してきたジョン・ディア神父は語ります。「戦争に反対して逮捕された司祭は米国で、いや世界でも彼が初めてではないでしょうか。(中略)彼はそれほど革新的な人でした」。ベリガン神父の最も親しい友人の一人だったディア神父は、35年にわたってともに活動を繰り広げました。ベリガン神父の遺作管理者であり、生前に出版された5作品の編集者でもあります。今日はさらに、ベリガン神父の弁護士の一人、ビル・クイグリーにも話を聞きます。クイグリーは教授で、スチュアート・H・スミス法律クリニックと「社会正義センター」(Center for Social Justice)、さらにロヨラ大学ギリス・ロング・貧困法律センター(the Gillis Long Poverty Law Center)の代表も務めています。ある日、「あなたのヒーロー(尊敬する人)は誰ですか」とクイグリー教授に聞かれたベリガン神父は、「ヒーローは信じていません。私が信じているのはコミュニティーです」と答えたと言います。

  • 伝説的な反戦司祭の故ダニエル・ベリガン神父は、オルガナイザーや活動家であっただけでなく、人々にインスピレーションを与えた詩人でもありました。ベリガン神父は2006年、85歳の誕生日を祝いに集まった数百人を前に、最も愛された自分の詩の一つ、”Some”(「ある者」)を朗読しました。

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