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2013年4月8日(月)

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  • 内部告発サイト「ウィキリークス」は、1973年から1976年までの元米国務長官のヘンリー・キッシンジャーが書いた当時機密扱いのメモなどを含む米外交文書や機密文書170万の文書からなる 「キッッシンジャー・ケーブルズ」を発表しました。これらの文書は国立公文書館で閲覧ができますが、ウィキリークスは、世界中の人が簡単に探せるよう、検索可能なオンラインデーターベースを構築しました。ウィキリークスの創設者で編集長のジュリアン・アサンジは同データベースの構築の大半をロンドンのエクアドル大使館での亡命中に行ったと報道さています。ウィキリークス広報担当のクリスティン・フラフンソンに文書公開について話を聞きます。また、ちょうど3年前の4月に公開された、米軍がイラク郊外のニュー・バグダッド地区でサイード・シャマーヒーとナミール・ヌール・アッディーンらロイター通信社職員2人を含む12人を殺害した様子を記録した軍動画「コラテラル・マーダー」についても話を聞きます。ウィキリークスがこの動画を入手した後、フラフンソンはイラクで被害者遺族と面会しました。

  • アイスランド議員のビルギッタ・ヨンスドティルは、2007年7月にイラクで米軍ヘリコプターが12人を殺害、子供2人を負傷させた様子を記録した動画「コラテラル・マーダー」をウィキリークスが公開する上で、重要な役割を果たしました。バージニア州アレクサンドリアで大陪審が密かに開かれ、ウィキリークスとジュリアン・アサンジに対する調査を開始して以来、初めて訪米中のヨンスドティルにスタジオで話を聞きます。ヨンスドティルはまた、もうひとつの注目される法廷闘争─彼女のツイッター記録を米政府が令状無しで入手しようとしたことへの異議申し立て─の渦中にもあり、そこにおける自らの役割についても語りました。さらに彼女は、米軍内部告発者のブラッドリー・マニングと、起訴されたハッカー、ジェレミー・ハモンドの事件を擁護するために米国に来ずにはいられなかったと、訪米の理由を語りました。

  • 英国のマーガレット・サッチャー元首相が死去しました。87歳でした。サッチャーは英国初の女性首相として3期にわたり首相を務めました。「鉄の女」として知られたサッチャーは、米国のロナルド・レーガン元大統領とともに緊縮経済の代名詞となりました。彼女は、新自由主義(ネオリベラリズム)を批判する人びとに「代案はない」と断言したことでも有名です。ストライキを行う鉱山労働者との長い闘いは、英国の組合運動に大打撃を及ぼし、民営化の波をもたらしました。外交政策では、サッチャーはアルゼンチンとのフォークランド紛争を進め、チリの独裁者アウグスト・ピノチェトに対する決定的な支援を行い、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)を支持してネルソン・マンデラを「テロリスト」と呼んでいたのは有名な話です。サッチャーの遺したものについて、パキスタン系英国人の政治評論家、ライター、活動家でニュー・レフト・レビューの編集者であるタリク・アリにロンドンから話を聞きます。

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