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2011年9月8日(木)

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  • 選挙活動に戻ったリック・ペリー、テキサス州知事は、7日夜の共和党大統領候補討論会で、地球温暖化の人間の活動起因説のを裏付けている科学への疑念を明らかにしました。同じ日、ペリーは、地元に戻って、これまでにコネティカット州の面積をしのぐ360万エイカー(約146万平方キロメートル)を焼いて、なお続いている歴史的な山火事に取り組むと発表しました。ペリーはこの災害に乗じて、連邦政府の消防士への支援行動が遅すぎると苦言を呈しましたが、批評家たちは、同州の大部分で消防の最前線を担うテキサス森林サービスの予算削減に大ナタをふるったのは知事自身だったと即座に反論しています。今回の山火事は記録的な干ばつのさなかにおこりました。テキサス州では1895年に観察記録を残し初めて以来、もっとも乾燥した月が続いており、農産業は壊滅的な影響を受けています。 テキサス・オブザーバー紙の記者、フォレスト・ワイルダーに話を聞きます。 彼が書いた最新記事の題は、「テキサスの終わりなき干ばつ:州の水不足は今回の干ばつに始まったのではない。そして、この干ばつでは終わらない」です。

  • 「9月11日、死の火曜日の朝、私は我が家の上空を飛ぶ飛行機の音に目を覚まし、恐怖におののいた。 1時間後、市の中心で激しい火の手をあがったのを目にした時、私の人生と祖国の運命が永遠に変わったことを知った。」 本日のゲストでチリ系米国人作家、アリエル・ドーフマンの言葉ですが、これは10年前の9月11日に起きた世界貿易ビルと国防総省への9.11同時テロ攻撃についてではなく、もうひとつの9.11について述べた言葉です。1973年9月11日、米国の支援を得たアウグスト・ピノチェト将軍がクーデターを起こし、民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ大統領から政権を奪いました。アジェンデは、大統領府内でその日に殺されました。アリエル・ドーフマンは1970年から1973年までアジェンデの文化顧問を務めた人物で、クーデター後に亡命、現在はラテンアメリカのもっとも偉大な作家のひとりとして知られています。「チリは自らが直面したテロに非暴力の抵抗で反応しました。つまり我々は、たとえばチリでクーデターをおこすようワシントンが命じ支援したからと言って、ワシントンを爆撃したりしませんでした。そうではなく、ピノチェトに対し平和な革命を起こしたのです」とドーフマンは語ります。「これに比べ、一握りのテロリストが起こした事件に対し米国、そしてブッシュが行ったことが引き起こした結果には身の毛がよだちます。 もし、これが試験であり、大惨事がつねに国の価値と国の意志への試験であるとしたら、米国はこの試験にぶざまに落第したのです」

  • 2001 年の世界貿易センターと国防総省への攻撃の記念日に際し、番組ではこの日と関わりのある、米国内外の出来事に注目します。2011年9月11日は、インドでマハトマ・ガンジーが近代的非暴力抵抗運動を開始した105周年にあたります。ガンジーの孫、アルンとの2003年のインタビューの一部をお届けします。1990年9月11日は、高名なグアテマラの人類学者ミルナ・マックが、グアテマラシティで暗殺された日でもあります。 ミルナは、米国が支援した、グアテマラ軍と協力武装集団によって農村地帯の先住民社会が破壊されたことを記録、公開しようとしていた事に対する報復として米国が支援する軍の暗殺隊に2週間付け狙われた末に暗殺されました。 ミルナの妹でグアテマラの武力勢力の高官によって殺された人々に正義をもたらすため、辛抱強い戦いを行っているヘレン・マックとの2003年のインタビューの抜粋をお届けします。1993年9月11日には、ハイチでの米国の支援を受けたクーデターのさなかに、アントワーヌ・イズメリーが白昼、クーデター勢力により教会から引きずり出され、殺害されました。彼はそれより5年前の1988年9月11日に起きた聖ジョン・ボスコ教会での教区民殺害の追悼を行っていたところでした。ジャン=ベルトラン・アリスティド神父は、九死に一生を得て、後にハイチの大統領になりました。この襲撃についての2004年のモクラシー・ナウ!のジャン=ベルトラン・アリスティド ハイチ大統領のインタビューの抜粋をお届けします。また1971年9月9日のアッティカ刑務所蜂起で中心的役割を果たし、後に蜂起を弾圧した部隊に拷問された囚人、フランク・「ビッグブラック」・スミスを描いた映画『アッティカの亡霊(Ghosts of Attica)』の一部をご覧いただきます。

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