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2015年5月28日(木)

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  • 5年前の今週、米陸軍の内部告発を行ったチェルシー・マニングは、クウェートで逮捕され、機密情報漏えいの罪で訴追されました。数週間後、ウィキリークスがアフガニスタン戦争関連の内部記録数万点を公開。これは米軍史上、最大級の漏えいとなりました。ニューヨークタイムズ紙、ガーディアン紙、シュピーゲル誌などが特集記事を掲載。当時はまだブラッドリーと名乗っていたチェルシー・マニングと、ジュリアン・アサンジは、瞬く間に有名人となりました。マニングは35年の禁錮刑に処された一方、アサンジは政治的亡命者として、過去3年を在英エクアドル大使館で過ごしています。アサンジはスウェーデンおよび米国で捜査の対象となっています。米国では秘密の大陪審が、アフガニスタン・イラク戦争の関連記録と米国務省の外交公電の公開に対するウィキリークスの関わりを調べています。スウェーデンではアサンジは、性犯罪容疑で取り調べを行うために指名手配されているものの、未だ訴追はされていません。「米国家安全保障局(NSA)の内部告発を行ったトーマス・ドレイクが良い例です。……公判前の手続きは、一般的な抑止目的と、処罰の意味がありました」とアサンジは言います。「ウィキリークスの件でも同じことが行われており、未だ正式な裁判がはじまらないため、被告人としての権利をわれわれは有さないのです。スウェーデンの事件に関しても、エクアドル大使館にいる私に対し同じことが行われている。訴追されず、裁判も行われず、自分を弁護することもできず、被告人という立場でさえない今は、証拠に目を通す権利も与えられていないのです」

  • ウィキリークスは27日、1978年の米外交公電50万点以上を同サイトの米外交データベース公開ライブラリに追加しました。公開された文書には、ほぼ全ての国の在外米大使館および領事館で受発信された外交公電などの外交通信が含まれています。「1978年は、現在展開する地政学的要素の多くが進展した年だったのです」とアサンジは言います。「1978年はイラン革命が始まった年で……サンディニスタ民族解放戦線が支持を広げ……アフガニスタンの戦乱の時代は1978年に始まり、未だに終結していないのです」

  • ウィキリークスは、Transparency Toolkitが作成したICWatchと呼ばれる新たなデータベースをホストしはじめました。同サイトには、諜報活動に関わる人々のLinkedInプロフィール2万7000件が検索可能なデータベースとして登録されています。作成者はこのサイトの目的は「監視する者を監視する」ことだと言います。ウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジはこのデータベースについて、正式には「共同優先解決リスト」(Joint Prioritized Effects List/JPEL)と呼ばれる米国の「殺しのリスト」に関係する人物の洗い出しに使える可能性があると語ります。

  • 2013年、米国家安全保障局(NSA)の内部告発を行ったエドワード・スノーデンが香港からロシアに移動する際に、ウィキリークスのジュリアン・アサンジは重要な役割を果たしました。米当局によるスノーデンの捜索中、ボリビアのエボ・モラレス大統領を乗せた飛行機は、スノーデンが搭乗しているという誤った噂から、米国の圧力を受けたスペイン、フランス、ポルトガル、イタリアが自国の空域を閉鎖したため、オーストリアに14時間の着陸を余儀なくされました。なぜ同機が標的にされたのかの裏話をアサンジが語ります。

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