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2014年12月11日(木)

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  • ペルーで開催されている国連気候変動会議(COP20)の最終日が近づく中、12月10日、リマの中心街で数千名が地球温暖化への対策実行を求めて行進しました。街で行進に参加した人々、ラテン・アメリカ全域で気候変動を加速させている企業活動と地球温暖化の両方の影響に最前線でさらされている先住民と僻地コミュニティの人々、の声を紹介します。

  • 12月10日、世界中から集まった気候正義活動家が、リマで「民衆の気候マーチ」を行いました。ウガンダ、モザンビーク、オーストラリア、カナダ、ペルー、ナイジェリアその他からの参加者の声を聞きます。「私たち市民は不正に対し、団結し立ち上がったのです。私たちはもう沢山だ、と声をあげるのです」と、「環境権アクション/フレンズ・オブ・ジ・アース・ナイジェリア」(Environmental Rights Action/Friends of the Earth Nigeria)事務局長ゴドウィン・ウィ・オジョは言います。「気候変動枠組み条約集結国会議(COP)で交渉が行われている。先進国は、人よりも利益を優先させています。それに対し私たちは『違う、利益よりも、人々を優先させるべきだ』と主張します」

  • ペルーのリマでは、12月10日、国連気候変動会議に参加している世界の指導者たちへ気候変動に対する更なる対策を求め、数千名が行進しました。行進終了後、リマの別の側で開かれている「世界気候サミット」(World Climate Summit)と呼ばれる企業が集まる会合会場に、数百名が自発的に向かいデモを行いました。デモクラシー・ナウ! のプロデューサー、ルネ・フェルツによる現場取材です。

  • リマで行われる国連気候サミットは、「小ペンタゴン」(El Pentagonito)と呼ばれるペルー軍本部が会場となっています。1975年に、独裁者フアン・ヴェラスコ・アルヴァラードにより建設されたこの場所には、暗い歴史があります。アルベルト・フジモリ政権のもとでは、ペルー軍が政治犯の拷問と尋問に同基地を使用しました。兄弟ケネス・アンズアルド・カストロが、フジモリ政権下の1993年に行方不明になった、マーリー・アンズアルド・カストロに話を聞きます。昨年、「米州人権裁判所」(Inter-American Court of Human Rights)は、ケネスの強制失踪の責任は、ペルー国家にあると判断を下しました。ケネスの消息は、現在も不明のままです。マーリーは、12月10日にリマで行われた気候マーチに、「忘れない」という意味の”No Olvidamos”と書かれたプラカートを手に参加しました。ケネスは学生運動に関わっていた、とマーリーは語ります。「私が今日、若者に混じり(気候マーチに)参加したのは、ケネスと同じ精神を感じるからです」とマーリーは言います。「ですから私にとっては、ケネスの精神が現在も引き継がれているのを目にする機会なのです」

  • 国連気候サミットがペルーで行われていますが、同国は環境保護活動家にとって、世界第4位の危険度です。9月だけでも4名の活動家が殺害されました。ペルーのアマゾン熱帯雨林地域の奥地では、先住民活動指導者のエドウィン・チョタが、同地域でおこなわれている違法伐採対策についてブラジルで行われる会合に向かう途中、待ち伏せのうえ襲撃されるという残酷な事件がありました。違法伐採関係者たちは、チョタおよび、一緒にいた活動仲間のホルヘ・リオス、フランシスコ・ピネド、レオンシオ・キンティシマを殺害の上、死体を切断したとされています。ペルーでは2002年以来、チョタを含め、少なくとも57人の環境保護活動家が暗殺されています。ペルー政府は先日、森林保護を後退させる法案を通過させ、それによってこうした事件が増加しています。「グローバル・ウィットネス」(Global Witness)の一員として環境管理運動を行い、新たな報告書Peru’s Deadly Environment(「ペルーの命がけの環境保護」)を執筆したクリス・モイに話を聞きます。

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