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2014年6月3日(火)

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  • アフガニスタン戦争の最後の米国人戦争捕虜として知られるボウ・バーグダールが、タリバンとの捕虜交換で、拘束から5年後に解放されました。バーグダールが拘束されたのは、武器を持ずに米軍基地を立ち去ろうとしたときだと報じられています。彼は、米陸軍には幻滅した、アフガニスタンでの米国の使命は支持できない、新たな生活を始めるために去る、と書いたメモを残していたと言われています。バーグダールの両親のボブとジャニは、米国とタリバンの交渉が決裂した3年前の時点で彼らの息子が捕虜交換交渉の対象になっていたことを初めて明らかにしました。息子の解放を前に、ボブ・バーグダールは家族が住むアイダホ州の田舎で撮影された、ガーディアン紙のショーン・スミスの独占インタビュー応えています。「グアンタナモ米軍基地の囚人たちに私たちの家族ほど共感できる人はいないでしょう。なぜならこれは同じことだからです」とボブ・バーグダールはスミスに語りました。「[第二次大戦中に]恐ろしい戦争犯罪者たちに対して、あれだけ高い水準の司法手続きをすることができたわれわれが、今は10年も11年も司法手続きすらしないというのはなんとしたことでしょう。これは間違っています」。

  • 故マイケル・ヘイスティングス記者によるローリングストーン誌の2012年の紹介記事によると、新たに解放された米兵ボウ・バーグダールは、初めはフランス外人部隊に入ろうとしたものの拒否され、2008年に米陸軍に入りました。彼は、2009年春にオバマ大統領が最初の部隊増派を命じた直後に、アフガニスタンに派遣されました。バーグダールは彼の部隊の一人の兵士に「もしこの派遣がひどいものなら、僕はパキスタンの山の中に歩き去るつもりだ」と語ったと言われています。そして、2009年6月30日、ナイフと水、デジタルカメラと日記だけを持って基地を去ったとき、その言葉を実行したとも考えられます。それから24時間以内に彼は拘束されました。アフガニスタンで部隊に従軍しているときにボウ・バーグダールに会った、ガーディアン紙の受賞歴のある写真家で映像製作者であるショーン・スミスから話を聞きます。スミスは、前のセグメントで放送したボウの父親ボブ・バーグダールの映像も撮影しました。

  • カタールによって仲介された交渉で、米国はボウ・バーグダールの自由を勝ち取ることと引き換えに、グアンタナモ米軍基地から5人のタリバン指導者らを解放することに合意しました。バーグダールは現在、ドイツの米国陸軍病院で治療を受けており、米国に後日帰国する予定です。タリバンの指導者らは強制的にカタールに1年間留まることになっています。この交渉は物議を呼んでいます。バーグダールの元同僚兵の中には、彼は脱走したことで軍法会議にかけられるべきだと言う人もいます。一方、共和党員らは、グアンタナモの囚人移送の事前警告を議会に適切に与えていないこと、米兵を捕虜にすることの利点を示して世界中の米兵を危険にさらしているとオバマ大統領を非難しています。退役空軍大佐で、2007年にグアンタナモ米軍基地の主任軍事検察官の地位を辞任したモリス・デイビスから話を聞きます。

  • 過去数十年の中で最も重要な報道の自由についての裁判の一つで、米最高裁は、秘密の情報源を明かすことを拒否したことで実刑判決に直面しているニューヨークタイムズ紙の記者の上告を棄却しました。ジェームズ・ライズンは、最高裁に、元CIA分析官ジェフリー・スターリングの刑事裁判で証言することを彼に強いる判決の取り消しを求めていました。検察側は、スターリングがイランの核開発計画を妨害する上でのCIAの役割について、ライズンに情報を与えていたと確信しています。ライズンは証言するくらいなら刑務所に行くと明言し、最高裁の介入を期待していました。しかし最高裁は6月2日、実質的に米政府側に付き、介入を拒否しました。オバマ政権は、ライズンへの証言命令を実行し、米国の最も著名な国家安全保障記者の一人を刑務所に送るという危険を冒すかどうかを今決めなければなりません。「プレスの自由財団」(Freedom of the Press Foundation)の代表であるトレバー・ティムと、ガーディアン紙のコラムニストであるマシュー・クーパーの二人のゲストから話を聞きます。クーパーは、ワシントン支局の長年の記者で、ヴァレリー・プレイムがCIAの工作員だったことが暴露されたことにつながったブッシュ政権時代の漏えい裁判のときに、法廷侮辱罪で拘束されました。
    原文:

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