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2012年2月7日(火)

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  • シリアの状況への対応をめぐって国際的なこう着状態が続く中、同国ではバッシャール・アル=アサド大統領に反対する蜂起が起きて11ヶ月のなかで最悪の部類の暴力が起きています。アサドの軍隊は、反体制派の拠点ホムスに、これまでで最も激しいとみられる攻撃を行いました。米国と英国はシリアの首都ダマスカスにある両国の大使館を閉鎖し、安全の懸念があるとして外国官らを退避させました。危機が拡大する中、ロシアと中国は、シリアでの政治的移行を求める米国とアラブ連盟によって支持された国連安全保障理事会の決議案を拒否したことで、非難にさらされています。中東に関する著名な英国人作家で、『アサド―中東の謀略戦』の著者であるパトリック・シールに、シリアの状況について聞きます。「この危機には、少なくとも二つ、多分三つのレベルがあります。まずシリア国内では、状況は日ごとに悪くなっています」と、シールは言います。「そして、より高いレベルでは、米国とその同盟国の間、および米国と中国やロシアのような反対国の間の争いがあります。そしておそらくこの危機にはイランを懸念しているカタールのような湾岸アラブ諸国やサウジアラビアまでもを巻き込む第三のレベルがあり、これらの国々はイランがアラブ地域のシーア派コミュニティを刺激するかもしれないと思っているのです。」

  • ワシントンでは何の記念行事も予定されていませんが、今日(2012年2月7日)は米国のキューバ禁輸措置が50周年を迎える日です。この世界最長の経済封鎖は1962年の2月7日、ジョン・F・ケネディ大統領がキューバに対する商業・金融取引の全面的禁止措置を正式に実施して以来、今日まで続いています。キューバ経済封鎖は強固な超党派的支持を得ており、それを一段と強化した1996年のヘルムズ・バートン法は共和党が多数を占める連邦議会で可決され、民主党のビル・クリントン大統領が法制化しました。高まる国際的非難を尻目に米国はキューバを標的にしてきました。「世界で最も長く続いている経済封鎖だ。問題は、なぜいまだに続いているのかということです。それによって、どんな効用があったというのでしょう?キューバ国民を困窮させただけです」と、長年キューバ経済封鎖に異議を唱えてきた「憲法上の権利センター」(Center for Constitutional Rights)の名誉会長マイケル・ラトナー弁護士は言います。

  • マイケル・ラトナーとマイケル・スティーブン・スミスは、キューバの革命家エルネスト“チェ”・ゲバラの死における米国の役割についての共著を出版しました。1928年にアルゼンチンで生まれたチェは、米国を後ろ盾とするキューバの独裁者フルヘンシオ・バティスタを倒した1959年のキューバ革命の主要な指導者の一人として国際的に有名になりました。革命後のキューバで新政府に参加した後、チェは国際的な革命活動を起こそうとキューバを去りました。チェは1967年10月8日、CIAと協力していたボリビアの軍隊に捕らえられ、翌日に処刑されました。Who Killed Che?(『誰がチェを殺した? CIAの完全犯罪』)の共著者、弁護士、憲法上の権利センター理事』)の中で、ラトナーとスミスは、未発表の政府文書を駆使して、CIAがチェの殺害に重要な役割を果たしたことを論じています。「(米国)政府は、チェを殺害したのはボリビア側がやったことで、我々にはなす術がなかったとうそぶいていますが、これは真実ではありません」とスミスは言います。「一連の作戦はホワイトハウスがウォルト・ホイットマン・ロストウを使ってお膳立てしたものです。そのころにはもうCIAは準軍事的組織になっていました」。チェの重要性について、ラトナーは次のように語ります。「チェは革命のシンボルになったのです。彼はもちろん、現在でも人々の中に生き続けています。ウォール街占拠やタハリール広場に行けば、今でも人々がチェのTシャツを着ているのを目にします。彼らは自分たちのなすべきことは「1%」の立場を引き受けることだとわかっているし、それこそまさにチェが身をもって示したことなのです。だからこそ、彼は今でも街頭の人々にとってのヒーローであり続けるのです」。

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