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2011年10月28日(金)

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  • 本日はこの時間を、自分の命を二度にわたって危険にさらした男性とともにお送りします。1度目はベトナム戦争に従事したとき、そして2度目はそこから帰還したときでした。1987年9月1日、ブライアン・ウィルソンはカリフォルニア州のコンコード海軍兵器基地の外で非暴力の政治活動に参加していました。中米ニカラグアのコントラ戦争の最中です。その中米に送る米政府の軍事物資を阻止しようと彼は他2人の帰還兵とともに線路上で座り込みをしていました。しかし輸送列車は停止しませんでした。ウィルソンは19カ所を骨折し頭蓋骨も割れ両脚も失いました。「その前は何カ月もニカラグアの内線地帯で過ごしていました。ゲリラや人権活動家たちと話をしにエルサルバドルに行ったこともあります。自分が殺されたくないから、相手を殺し、障害者にし、追放することが横行していたのもわかりました」とウィルソンは言います。そして決心します。「少なくとも、この非暴力の「線路占拠」とでもいう自分の闘いをエスカレートさせなくちゃだめだ」と。当時を振り返り、ウィルソンは言います。「脚を失ったことは残念だけど、自分があそこにいたことは後悔していない。私は自分でやると言ったことをやったまでなんです……命令に従うなんてね、もう自分はしないぞって分かった」。いま彼は国中を回ってウォールストリート占拠運動に連帯する抗議活動を訪れています。抗議する仲間たちの中には退役軍人たちの姿もあります。ここでは彼の新著"Blood on the Tracks: The Life and Times of S. Brian Willson"(『鉄路の血痕:S・ブライアン・ウィルソンの人生と時代』)という回顧録についても話してもらいましょう。西海岸ではどこを回るにも多く手でこぐ車いす式の自転車で旅をしたそうです。

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