DVD2008年第2巻 1968年と今

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第2巻は、激動の1968年をふり返り、今日の問題点を考える「あれから40年シリーズ」のハイライトを選びました。

ストリート・ファイティング・イヤーズ/ブラックパンサー党シアトル支部設立から40年/コロンビア大学紛争を振り返る/スラヴォイ・ジジェクとの対話

☆付録の対訳小冊子は、「あれから40年 タリク・アリが語る 社会正義を求めて世界が燃えた日々」です。それぞれの動画の詳細は、画面をクリック

 

第2巻は、激動の1968年をふり返り、今日の問題点を考える「あれから40年シリーズ」のハイライトを選びました。

ストリート・ファイティング・イヤーズ/ブラックパンサー党シアトル支部設立から40年/コロンビア大学紛争を振り返る/スラヴォイ・ジジェクとの対話

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英国で活躍する作家タリク・アリはベトナム戦争が最も激しかった1960年代に、ヘンリー・キッシンジャーや英外相(当時)マイケル・スチュワートと行った討論で、アメリカで一躍有名になりました。彼はベトナム反戦運動に身を投じ、1968年ロンドンの米国大使館前での反戦抗議デモで指導的役割を演じました。革命新聞Black Dwarfの編集を通じて、ストークリー・カーマイケル、マルコムX、ジョン・レノン、ヨーコ・オノなど大きな影響力を持つ人々と親交を結びました。40年後の今、アリはニューレフト・レビュー誌の編集者を努め、作家として活躍するかたわら、米国の外交政策への批判を唱え続けています。1968年を世界的な視野から語ってもらいました。(2007年8月2日放送)

タリク・アリ(Tariq Ali) 英領インド(現パキスタン)に生まれ、イギリスで教育を受けた作家、歴史家で、評論家。『ニューレフト・レビュー』の編集者の1人。著書多数


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40年前、米カリフォルニア州オークランドに本部を置くブラックパンサー党は、初の支部をワシントン州シアトルに結成しました。当時まだ19歳だったアーロン・ディクソンは、支部結成から4年にわたり支部長を務めました。現在はコミュニティ活動家、人権活動家として著名なディクソンに、人種的平等のための取り組みの過去、そして今について聞きました。 (2008年4月14日放送)

アーロン・ディクソン(Aaron Dixon) 1968年4月にブラックパンサー党のシアトル支部の創設にかかわり、以後ずっとシアトルで市民権運動やコミュニティ活動に活躍してきた。


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映画『いちご白書』にも描かれ、一連の学園紛争の中でも有名なコロンビア大学の学生ストを振り返ります。共同司会のフアン・ゴンザレスが当時の学生リーダーの1人だったこともあって、同窓会的な雰囲気のなかで内輪話がたっぷりと聞けます。 ストライキの理由は、コロンビア大学が軍のための研究をペンタゴンと共同で行っていることへの反発と、隣接するハーレム地区の住民の公園を大学がニューヨーク市から買い取り、体育館を建設する計画を、当事者である住民の頭越しに進めていることへの抗議でした。その3週間前にキング牧師が暗殺されており、アフリカ系アメリカ人社会では義憤が渦巻いていたという背景も見逃せません。 この当時からコロンビア大学が暖めていたハーレム地区への進出計画は、現在は形を変えてバイオセンターの開発として実現しつつあるそうです。都市型の大型私立大学が、教育の美名に隠れて周辺の土地を買いあさり、巨大地主となって地域問題を引き起こしていることに、いちはやく注目した運動でもありました。 (2008年4月25日放送)

フアン・ゴンザレス(Juan Gonzalez) デモクラシー・ナウ!の共同司会、『ニューヨークデイリーニュース』のコラムニスト。1968年にはコロンビア大学で最終学年を迎えていた。民主的な社会のための学生連盟(SDS)のメンバーで、当時のキャンパスでは数少ない中南米系の活動家だった。 ウィリアム・セイルズ(William Sales) シートンホール大学のアフリカ系アメリカ人学科の元学科長。1968年当時、アフリカ系学生の組織アフロアメリカン学生協会(SAAS)のコロンビア大学におけるリーダーだった。 ガスティン・ライシュバック(Gustin Reichbach) 1968年にはコロンビア大学のSDSの中心人物の一人だった。現在はブルックリンのニューヨーク州最高裁判所の判事。
トム・ヘイドン(Tom Hayden) 民主的な社会のための学生連盟(SDS)の創始メンバーの一人で、「ポートヒューロン宣言」と呼ばれる同団体のマニュフェストを起草した。コロンビア大学の学生ではなかったが、学内占拠に参加した。


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2008年春ニューヨークで「"68年"から40年、われわれはどこにきたのか?」という講演を行ったジジェクが、デモクラシー・ナウ!のスタジオを訪れました。新著『敗れし大儀を弁護して』を上梓したばかりのジジェクは、現在の左翼のありかたをきびしく問いただします。 1968年の「プラハの春」について、ソ連の軍事介入は天恵だったかもしれない、とジジェクは冷めた評価を下します。介入さえなければ本物の「民主的な社会主義」が開花したはずだと信じ、幻滅せずにすんだからです。ソ連の介入がなければ、改革は成功していたのか? 中国の天安門事件にも同じことがいえます。 「独裁や強権政治しか道がないと言うつもりはないが、安全な幻想にひたるのはやめよう。この悪い癖のせいで、今の左翼はよろこんで敗北する。優れたマルクス主義の分析は敗北の分析ばかりだ」。 「こういう居心地のいい抵抗のあり方に問題を感じるのです。今の左翼は、”権力と渡り合うな” "抵抗したら引き下がり、安全なモラリストの立場を貫け"と言う。嘆かわしいことです」。 (2008年3月11日、5月12日放送)

スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Zizek) スロベニアの哲学者、精神分析家、文化理論家。In Defense of Lost Causes(『敗れし大儀を弁護して』)など50冊以上の著書がある


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