デイリーニュース

  • ノーム・チョムスキー:10年経った9.11を振り返る

    10 年前の2001年、米連邦議会で共和民主両党の議員が一緒になって終わりなき戦争を容認したとき、ノーム・チョムスキーは中東と世界における米国の行動を見直すことを米国に求めた中心的人物でした。9-11というシンプルなタイトル(邦題は「9.11―アメリカに報復する資格はない!」)の彼の2001年の著作は、予想外のベストセラーになりました。同書では、9.11攻撃の根源についてのチョムスキーへの一連のインタビューと、彼が正当と考える事件への対処策が収められています。10年後の2011年、チョムスキーは同書の改定版、9-11: Was There an Alternative?(『9.11:ほかに手段はなかったのか?』)を発表し、その中で米国によるオサマ・ビンラディン暗殺と、チョムスキーが見るブッシュ政権の外交政策とオバマ政権の外交政策の継続性について言及しています。「現時点で、オバマのアラブ世界における支持率は、ジョージ・W・ブッシュのものをさえ下回っている」とノーム・チョムスキーは言います。「政策は変わったが、彼らの敵意は不変だ。我々は残虐行為がどこから派生するものなのか理解するべきだ。そうした行為は何もないところからは生まれない。真剣に考えるなら、我々はそうした行為の基盤になっていることについて何らかの行動を起こすべきだ」。

    dailynews date: 
    2011/9/13(Tue)
    記事番号: 
    1
  • アッティカ刑務所反乱から40年、コーネル・ウエストが演説

    今週はもう一つの9.11の悲劇から40年にもなります。アッティカ刑務所反乱です。1971年9月9日、受刑者らがニューヨーク州アッティカの州刑務所の大半を占拠し、監視が非常に厳しかった同刑務所の条件を改善するよう求めました。ネルソン・ロックフェラー州知事は9月13日朝、州警察に同施設突入を命じ、2000発以上の銃弾が無差別に発砲されて受刑者や所員39人が死亡しました。銃撃後、警官隊はさらに多くの受刑者たちに暴行と拷問を加えました。そのうちの多くは重傷を負いましたが、当初治療が認められませんでした。25年に及ぶ法廷闘争の末、ニューヨーク州はついに生存者に1200万ドルの賠償を支払うことを認めました。ニューヨーク市のリバーサイド教会で行われた9月9日の式典「アッティカはわれわれ全員だ(Attica Is All of Us)」の一部をお送りします。同式典には、プリンストン大学の宗教学とアフリカ系アメリカ人研究の専門家で人種問題に関する著作も多いコーネル・ウエストも出席しました。「さて40年が経ち、われわれは再びこの闘いを記念するために戻ってきた。われわれが恐れ、おびえ、常に不安を感じるよう教えられ、互いを信じず、互いを尊重しない人々だと教えられほどに、おびえさせさえられ、トラウマにさせられ、汚名を着せらた人々による闘いを」とウエストは語ります。

    dailynews date: 
    2011/9/12(Mon)
    記事番号: 
    3
  • 9.11から10年、今も暴力と嫌がらせ受けるシーク教徒コミュニティ

    引き続き、9.11から10年の特集として、米国のシーク教徒のコミュニティーを取り上げます。シーク教は世界で5番目に規模の大きい宗教であり、米国内でも50万人ほどの信者がいます。2001年9月11日のテロ攻撃を受け、シーク教徒の米国人はイスラム教徒やアラブ系米国人と同様の差別を受けました。彼らの格好が目立つことから、暴力と嫌がらせの対象となってしまいました。 デモクラシー・ナウ!のジャイサル・ヌーアが、フリースピーチレディオニュースとの共同製作でこのレポートをまとめました。

    dailynews date: 
    2011/9/12(Mon)
    記事番号: 
    2
  • 1つのグラウンド・ゼロからもう1つのグラウンド・ゼロへ:9.11遺族が米アフガニスタン空爆で家族を失った女性と会う

    9.11同時多発攻撃から10年を迎える中、10年ほど前に2人のニューヨーカー、リタ・ラザールとマスダ・サルタンが行った注目の会話を振り返ります。リタ・ラザールは、世界貿易センター27階のブルークロス・ブルーシールドに勤めていた弟のエイブ・ゼルマノウィッツを失いました。エイブは、下半身不随の親友エドを助けるために緊急作業員がオフィスに来るまでは自分もビルを離れることを拒否しました。2人は多くの人々とともに命を落としました。数日後にワシントン大聖堂で行われた演説で、ジョージ.W.ブッシュ大統領はエイブをヒーローと呼び、彼の出来事について触れました。姉のリタはすぐにニューヨーク・タイムズ紙に寄稿し、ブッシュにアフガニスタンを攻撃しないよう求めました。「深く傷ついたわれわれの国が、引き返すための力を持たずに軍隊を派兵するようなことを行わないことを、自らと弟の名で祈ります」。それはまさに、米国がその数週間後に行ったことでした。この10年で数千人もの人々が死亡し、その中にはアフガニスタン出身で9.11当時ニューヨークに暮らしていたマスダ・サルタンの家族も含まれています。彼女はまもなく、家族の19人がアフガニスタンでの米軍空爆で死亡したという報告を受けました。家族は攻撃を避けるために、カンダハルを離れ農場に避難していました。しかしそこで、彼らは爆撃を受けました。

    dailynews date: 
    2011/9/12(Mon)
    記事番号: 
    1
  • 9.11グラウンド・ゼロの瓦礫が癌を誘発 当局が危険性を小さく見せようとした詳細が明らかに

    9.11がさまざまに語られる中で、忘れられがちな犠牲者集団が多数の救助作業員です。彼らはグラウンド・ゼロの汚染物質を浴びて、後日に体調を崩しています。プロプブリカの最新記事によると、ワシントンとニューヨークの連邦職員たちが、当初知られた以上に、健康被害の懸念を過小評価し、情報を不正確に伝えたり隠蔽していたりしたことによって、避けられたかもしれない作業員による汚染物質の吸引を招いた事実が、最近見つかった文書でわかりました。一方、グラウンド・ゼロの有毒な瓦礫や粉塵にさらされることによって癌になる危険性があるという、画期的な可能性のある証拠が新しい研究によって提示されました。医療ジャーナル誌『ザ・ランセット』によると、グラウンド・ゼロの粉塵や煙にさらされた男性消防士たちは、さらされなかった同僚たちに比べて発癌率が19%ポイントも高くなります。この発見が発表されたのは、国立労働安全衛生研究所が9.11後の世界貿易センターの廃墟の噴煙と癌発生を結びつける十分な証拠はないと結論付けてから、ちょうど1カ月後のことです。消防士や救助作業員たちは癌になっても、9.11の現場で働いた人たちに与えられる特別医療保険法では適用対象外になっているため、治療費を受け取れませんでした。

    dailynews date: 
    2011/9/9(Fri)
    記事番号: 
    3
  • 再建されるグラウンド・ゼロは米国の象徴 しかし巨額の建築工事は海外調達

    今週末は9.11同時テロから10周年で、世界貿易センター跡地に数千人の人々が集まります。日曜日には追悼式典が行われ、9.11記念施設も翌12日の月曜日から一般公開されます。もっとも、1ワールドトレードセンターの工事は続いており、完成はまだまだ先の話です。この10周年は世界のメディアで大きなニュースになっていますが、グラウンド・ゼロの再建に関して異論の多い側面もままあり、そこにはあまり注意が払われていません。時を同じくしてオバマ大統領が大規模な新雇用計画を発表しましたが、工事計画の重要部分は海外企業が受注しているのです。最高層となる1ワールドトレードセンターの低層階部分の耐爆風仕様特殊ガラス外壁の製造契約は中国のガラス会社が勝ち取りました。また、ステンレス鋼も約250トン分がドイツから輸入されるのです。一時は「フリーダムタワー」の名前で知られた105階の高さとなるこの巨大摩天楼には、いまのところ2つの入居者しか決まっていません。リース契約に最初にサインしたのはチャイナ・センターです。オフィス階の64階から69階までを占め、中国系企業の米国進出を支援するとともに、いくつかの中国企業のオフィスも収容するようです。もう1つのテナントは出版業界の巨大企業コンデナストです。

    dailynews date: 
    2011/9/9(Fri)
    記事番号: 
    2
  • 予想より大胆だったオバマの雇用計画 しかしそれで十分か?

    オバマ大統領は8日夜、議会の上下両院合同会議で演説し、景気刺激と雇用創出のための減税や新規財政出動を含む総額4470億ドルの一括法案を明らかにしました。米国で1400万人が失業し880万人が常勤雇用を求めながらも非常勤で働かざるを得ない状況の中での演説です。現在の公式発表の失業率は9.1%、しかも6%を下回るのは2017年以降だろうとホワイトハウスも予想しています。この雇用危機は特にアフリカ系アメリカ人に深刻で、この層での失業率は8月時点で16.7%にまで跳ね上がっています。これは1984以降で最悪の数字です。NAACP(全米黒人地位向上協会)の経済プログラム専務理事であるデドリック・ムハンマドと、アメリカ製造業同盟の創始者で事務局長のスコット・ポールに話を聞きます。

    dailynews date: 
    2011/9/9(Fri)
    記事番号: 
    1
  • 運命の日:9.11はインド、グアテマラ、ハイチ、NY州アッティカでも重要な記念日

    2001 年の世界貿易センターと国防総省への攻撃の記念日に際し、番組ではこの日と関わりのある、米国内外の出来事に注目します。2011年9月11日は、インドでマハトマ・ガンジーが近代的非暴力抵抗運動を開始した105周年にあたります。ガンジーの孫、アルンとの2003年のインタビューの一部をお届けします。1990年9月11日は、高名なグアテマラの人類学者ミルナ・マックが、グアテマラシティで暗殺された日でもあります。 ミルナは、米国が支援した、グアテマラ軍と協力武装集団によって農村地帯の先住民社会が破壊されたことを記録、公開しようとしていた事に対する報復として米国が支援する軍の暗殺隊に2週間付け狙われた末に暗殺されました。 ミルナの妹でグアテマラの武力勢力の高官によって殺された人々に正義をもたらすため、辛抱強い戦いを行っているヘレン・マックとの2003年のインタビューの抜粋をお届けします。1993年9月11日には、ハイチでの米国の支援を受けたクーデターのさなかに、アントワーヌ・イズメリーが白昼、クーデター勢力により教会から引きずり出され、殺害されました。彼はそれより5年前の1988年9月11日に起きた聖ジョン・ボスコ教会での教区民殺害の追悼を行っていたところでした。ジャン=ベルトラン・アリスティド神父は、九死に一生を得て、後にハイチの大統領になりました。

    dailynews date: 
    2011/9/8(Thu)
    記事番号: 
    3
  • もうひとつの 9.11への碑文: 高名な作家アリエル・ドーフマン 1973年のチリでの米国支援クーデターを語る

    「9月11日、死の火曜日の朝、私は我が家の上空を飛ぶ飛行機の音に目を覚まし、恐怖におののいた。 1時間後、市の中心で激しい火の手をあがったのを目にした時、私の人生と祖国の運命が永遠に変わったことを知った。」 本日のゲストでチリ系米国人作家、アリエル・ドーフマンの言葉ですが、これは10年前の9月11日に起きた世界貿易ビルと国防総省への9.11同時テロ攻撃についてではなく、もうひとつの9.11について述べた言葉です。1973年9月11日、米国の支援を得たアウグスト・ピノチェト将軍がクーデターを起こし、民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ大統領から政権を奪いました。アジェンデは、大統領府内でその日に殺されました。アリエル・ドーフマンは1970年から1973年までアジェンデの文化顧問を務めた人物で、クーデター後に亡命、現在はラテンアメリカのもっとも偉大な作家のひとりとして知られています。「チリは自らが直面したテロに非暴力の抵抗で反応しました。つまり我々は、たとえばチリでクーデターをおこすようワシントンが命じ支援したからと言って、ワシントンを爆撃したりしませんでした。そうではなく、ピノチェトに対し平和な革命を起こしたのです」とドーフマンは語ります。「これに比べ、一握りのテロリストが起こした事件に対し米国、そしてブッシュが行ったことが引き起こした結果には身の毛がよだちます。

    dailynews date: 
    2011/9/8(Thu)
    記事番号: 
    2
  • 大規模な山火事と記録的干ばつに直面するテキサス それでも知事は地球温暖化を否認

    選挙活動に戻ったリック・ペリー、テキサス州知事は、7日夜の共和党大統領候補討論会で、地球温暖化の人間の活動起因説のを裏付けている科学への疑念を明らかにしました。同じ日、ペリーは、地元に戻って、これまでにコネティカット州の面積をしのぐ360万エイカー(約146万平方キロメートル)を焼いて、なお続いている歴史的な山火事に取り組むと発表しました。ペリーはこの災害に乗じて、連邦政府の消防士への支援行動が遅すぎると苦言を呈しましたが、批評家たちは、同州の大部分で消防の最前線を担うテキサス森林サービスの予算削減に大ナタをふるったのは知事自身だったと即座に反論しています。今回の山火事は記録的な干ばつのさなかにおこりました。テキサス州では1895年に観察記録を残し初めて以来、もっとも乾燥した月が続いており、農産業は壊滅的な影響を受けています。 テキサス・オブザーバー紙の記者、フォレスト・ワイルダーに話を聞きます。 彼が書いた最新記事の題は、「テキサスの終わりなき干ばつ:州の水不足は今回の干ばつに始まったのではない。そして、この干ばつでは終わらない」です。

    dailynews date: 
    2011/9/8(Thu)
    記事番号: 
    1

Pages