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2015年4月21日(火)

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  • 債務返済期限が迫る中、ギリシャの資金はまもなく底を尽きつつあります。同国はなんとか持ちこたえようと奮闘し、すべての国家機関に対し手元資金を同国の中央銀行であるギリシャ銀行に預けるよう命じました。ギリシャは欧州の債権団から救済資金の最後の分割払い金を受け取ることになっていますが、同国の新政権を担う、反緊縮を掲げる左派連合シリザ党は、その条件に懸念を示しています。債権団はギリシャに対し、労働市場の再編と年金の削減を行うよう圧力をかけていると報じられていますが、シリザ党はそれとは反対に、低賃金労働者への年金支給額を増加させました。ユーロ圏の財務相らは4月24日、ギリシャへの緊急資金を拠出するかどうかを決める予定です。この資金なしでは、ギリシャは数週間のうちにデフォルト(債務不履行)に陥いる可能性があり、ユーロ圏離脱の恐れもあります。アテネからギリシャの財務相ヤニス・バルファキスに話を聞きます。

  • 多くの人々にはドン・ペドロとして知られた、国民党の元党首で、プエルトリコ独立運動の指導者ペドロ・アルビス・カンポスの死後50周年を記念する式典が4月21日に行われています。アルビス・カンポスは米国の植民地支配への反対運動を組織したために、約26年間を獄中で過ごしました。彼は米国がプエルトリコを占領する7年前の1891年に生まれました。彼はプエルトリコ人で初めて、ハーバード・ロー・スクールを卒業しました。プエルトリコに戻ると、彼は残りの人生を独立運動に捧げることを決心し、1930年にプエルトリコ国民党の党首になりました。1965年に死去するまで、この地位に就いていました。アルビスは1936年、他の国民党の指導者らと共に、陰謀と治安妨害罪で投獄されました。彼が投獄されたことでプエルトリコ全土で抗議行動が行われました。パーム・サンデー(カトリックの枝の主日)の1937年3月21日、警察はアルビス・カンポスの投獄に抗議する平和的な行進の参加者らに発砲し、21人のプエルトリコ人が死亡、200人以上が負傷しました。この事件はポンセ虐殺として知られるようになりました。ようやく釈放されたものの、アルビス・カンポスは1950年に再び逮捕されました。10月30日に始まった国民党による反乱の数日後のことでした。ペドロ・アルビス・カンポスはその後の人生のほとんどを獄中で過ごしました。そこで彼は何度も放射線人体実験の対象になりました。彼自身の言葉を聴き、3人のゲストから話を聞きます。ニューヨーク州選出の民主党下院議員ホセ・セラノ、新刊War Against All Puerto Ricans: Revolution and Terror in America’s Colony(『すべてのプエルトリコ人に対する戦争:米国殖民地における革命と恐怖』)の著者であるネルソン・デニス、プエルトリコ独立党のウゴ・ロドリゲスです。

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