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2015年3月6日(金)

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  • 1965年3月7日、モンゴメリーへ向け、選挙権を求める平和行進をしていた数百人の活動家が、エドマンド・ペタス橋上で警察に暴行を受けた「血の日曜日」から50年、3月第1週の週末、アラバマ州セルマを数千人が訪れると見られています。「血の日曜日」はセルマからモンゴメリーへの行進の試みの1回目に起こりました。3回試みられたこの行進は、最終的に連邦政府の保護のもと、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア師による先導で成功しました。ジョージア州選出のジョン・ルイス下院議員は、「血の日曜日」に暴行を受けたデモ参加者の1人です。 ルイスは当時25歳で「非暴力学生調整委員会」(Student Nonviolent Coordinating Committee)のオーガナイザーをしていました。「私は州警察に警棒で頭を殴られました。橋の上で脳震盪をおこしたのです」とルイスは言います。「私は足の力を失いました。自分は死ぬのだと思いました。死神を見たような気がしました。今でも、どうやってあの橋から教会まで戻ることができたのか思い出せません」

  • 2月第4週、メキシコ移民の息子であるヘスス・チュイ・ガルシアは、強力な影響力を誇るシカゴのラーム・エマニュエル市長を決戦投票に追い込み、全米の既存の政治体勢にショックを与えました。この結果によって、同選挙は民主党の理念をめぐる大きな闘いとなるかもしれません。エマニュエル市長は、アフリカ系アメリカ人が多数を占める地域での50の学校閉鎖、2012年の教師ストライキへの対処および、同市の殺人事件発生率および銃による犯罪を巡る市民の不満に直面しています。ガルシアが当選した場合、彼はシカゴ初のラティーノ市長となります。決戦投票は4月7日に行われる予定です。

  • 被告側弁護人による、マサチューセッツ州外に裁判を移す再三の試みは失敗に終り、ボストン・マラソン爆破事件容疑者ジョハル・ツァルナエフの裁判が同州の裁判所ではじまりました。ツァルナエフは、警察との銃撃戦で亡くなった兄のタメルランと共に、ボストン・マラソンのゴール近くに複数の爆弾を仕掛け、3人を殺害、264人を負傷させた罪に問われています。裁判の初日、被告側弁護人は、依頼人が爆破事件に関わっていたことを認めたものの、兄の強烈な影響があったと主張しました。この裁判と時を同じくして、米国イスラム関係評議会(Council on American-Islamic Relations)フロリダ支部は、ツァルナエフ兄弟との関係について尋問されている最中に死亡した、武器を所持していなかったチェチェン人の遺族を代表してFBIに3000万ドルの補償を求める裁判を起こすと発表しました。FBIは、捜査官の1人がイブラギム・トダシェフを撃ったのはドダシェフが攻撃したことに対する正当防衛だったとしていますが、トダシェフの両親はFBIは「冷酷に」息子を殺したと主張しています。マサチューセッツより、アメリカ自由人権協会(ACLU)「自由のためのテクノロジー・プロジェクト」(Technology for Liberty project)理事長ケード・クロークフォードに話を聞きます。

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