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2014年7月8日(火)

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  • イスラエルがガザ地区を爆撃し、新たな大規模攻撃を警告する中、イスラエルとユダヤ人入植地での暴力が拡大しています。イスラエル軍は7月7日、パレスチナによるイスラエル南部へのロケット弾攻撃を止めさせることを目的とする「境界防衛作戦」(Operation Protective Edge)を発表しました。一夜のうちにガザ地区の50ヶ所以上を標的にしたイスラエルの攻撃で、少なくとも9人のパレスチナ人が負傷しました。7月6日のイスラエルの攻撃では6人のハマスの成員が死亡しました。これは、2012年末の8日間のイスラエルによる攻撃以来、最大の数です。パレスチナの戦闘員らは、7月5日の週末以来イスラエル南部に数十のロケット弾を発射していますが、負傷者は出ていません。イスラエルは予想される攻撃に備え、ガザ境界沿いにすでに集結させた部隊をさらに補強するために1500人以上の兵士を配置しました。ハマス側は最近の攻撃は「越えてはならない一線を越えた」と言い、より大規模なロケット弾攻撃で応酬すると明言しました。もしイスラエルがガザに侵攻すれば、沿岸占領地における6年間で3度目の大規模攻撃になります。2008年の最初の侵攻では1400人以上のパスレスチナ人が死亡し、そのほとんどは民間人でした。受賞歴にあるパレスチナ人ジャーナリストで、イスラエルの攻撃について取材しているムハマド・オマールに、ガザから話を聞きます。

  • イスラエルによるガザ地区への攻撃の脅威の背景に、パレスチナ人の十代の少年と3人の十代のイスラエル人少年の殺害のあと増大しているヨルダン川西岸とイスラエル内部のアラブ人街での不安があります。イスラエル人少年らは、彼らが住んでいたヨルダン川西岸の入植地付近でヒッチハイクをしていた際に誘拐されました。彼らの遺体は7月第1週に発見されましたが、そこに至るまでの2週間、イスラエルはヨルダン川西岸全域で強行捜査を行い、200人以上のパレスチナ人を逮捕、十数人以上を殺害しました。イスラエル人少年らの遺体が発見された直後の明らかな報復行為として、ムハマド・アブ・クデールという名前のパレスチナ人の十代の少年が自宅付近の東エルサレムで誘拐されました。彼の遺体は間もなく発見され、生きたまま焼き殺された可能性を示していました。イスラエルは7月7日、6人の容疑者を逮捕し、そのうちの3人はすでに容疑を認めたと発表しました。イスラエルのベンジャミン・ネタニヤフ首相と他のイスラエル首脳陣はこの殺害を非難していますが、クデイルの死は抗議デモやソーシャルメディアでイスラエルの政治指導者らによる報復の呼びかけが行われたあとの出来事でした。「エレクトロニック・インティファーダ」(Electronic Intifada)の共同設立者で、新刊The Battle for Justice in Palestine(『パレスチナでの正義の闘い』)の著者であるアリ・アブニマと、平和活動家でThe General’s Son: Journey of an Israeli in Palestine.(『大将の息子:パレチナを旅する一人のイスラエル人』)の著者であるミコ・パレドから話を聞きます。パレドの本の題名は、彼の家族の異色の歴史を反映しています。彼の父親、マチ・パレドは1967年の第三次中東戦争で陸軍大将を務めましたが、後に平和活動家となり、自分が占領を助けた占領地からイスラエルが撤退することを求めました。

  • 7月第1週の週末、殺害されたパレスチナ人の十代の少年ムハマド・アブ・クデールの従兄弟で15歳のパレスチナ系米国人タリク・アブ・クデールが殴られる映像が公開されました。映像には、彼が従兄弟の殺害をめぐる抗議行動の最中に拘束された後、イスラエルの警官らから激しく殴られる様子が映っています。タリクは、拘束されたとき、東エルサレムでの抗議行動を見ていたと言います。映像には、彼が地面に横たわり、警官らが警棒で繰り返し彼を殴る様子が映っています。タリクは、警官に暴行した容疑の捜査の間、家内監禁状態に置かれています。彼はフロリダ州タンパの住人ですが、夏の間、東エルサレム家族を訪れていました。彼は、7月第1週に殺害された、従兄弟であるムハマドが誘拐される直前まで一緒にいました。国務省は声明文の中で、この暴行は「非常に遺憾」であり、「迅速かつ明白で確かな捜査と、明らかに過剰な力の行使に対する全面的な説明責任」を求めると述べました。タンパから、タリクの叔母であるスハド・アブクデールに話を聞きます。彼女はタリクが殴られたことについて、「まったくもって不当」と言います。「1人の15歳の少年に対して、戦闘用具をフル装備した3人の制服警官たちが向かったんですから」。

  • 「プログレッシブ誌」(The Progressive magazine)と、「メディアと民主主義センター」(Center for Media and Democracy)は、物議を呼んでいる右派団体ジョン・バーチ協会が1960年代の公民権運動に反対するキャンペーンをしていた間、億万長者で石油産業の実業家チャールズ・コークが同協会の活動的なメンバーだったことを示す新たな文書を発表しました。チャールズ・コークは、設立当初からジョン・バーチ協会のリーダーだった彼の父親フレッド・コークの跡を継いでいました。プログレッシブ誌のリサ・グレーブスから、彼女の新たな記事The Koch Cartel: Their Reach, Their Reactionary Agenda, and Their Record(『ザ・コーク・カルテル:その影響範囲、復古主義的計略と実践』)について話を聞きます。グレーブスは、チャールズ・コークが青年時代に吸収した復古主義的思考が、数十年経った後も彼の行動の多くを、いかに駆り立て続けているかを詳述しています。チャールズと彼の弟デビッド・コークは、ティーパーティーや、民主党に対する中傷広告に資金提供する際に寄付者の身元を隠すことができる「黒い金」政治同盟を使って、主流政治の中に自分達の信念に似通った政策課題を押し込むために彼らの財産を使ってきました。

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