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2013年9月9日(月)

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  • 今週、もう一つの9・11から40年目を迎えます──1973年9月11日、米政府が支援する軍事クーデターは民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ大統領を追放し、アウグスト・ピノチェト将軍による17年間の弾圧的な独裁政治を招きました。チリ人歌手故ビクトル・ハラの妻で、40年前にハラを殺害したとされる元軍人に対し米国で民事訴訟を起こしたばかりのジョアン・ハラに話を聞きます。ビクトル・ハラを殺害したとされる人物、ペドロ・バリエントスは在米歴約20年、現在は米国国籍を持っています。ハラの遺族は、国外で起きた人権侵害を米国の裁判所で審理することを認める連邦法に基づき、バリエントスを提訴しました。昨年、チリの検察当局は、バリエントスと別の1人をハラ殺害で、その他6人を共犯者として提訴しました。ハラの遺族による先週の提訴に協力した正義と責任センター(Center for Justice and Accountability)のアルムデナ・ベルナベウにも話を聞きます。「私は、数百人の遺体が遺体安置所の駐車場に積み上げられているのを見ました」とジョアン・ハラは、夫の遺体を40年前に見つけたときのことを話しています。「私は遺体が彼だと確かめました。彼に何が起きたかを目にしました。弾傷を見ましたし、遺体の状態も見ました。ビクトルの身に何が起きたのか、自分の目で直面する瞬間をもてたという意味で、ある意味幸運なほうだったと考えています。私はその瞬間感じたことを糧に、後に証言をすることができました──大変多くの家族と女性たちは、さらに恐ろしい状況に陥りました。愛する者に何が起こったのか知ることができず、行方不明になった愛する人たちをこの40年間探し続けてきたのです」。

  • 米政府が支援したチリの軍事クーデターから40年、愛するものを失った人による正義を追求する絶えまぬ努力について検証を続けます。次にとりあげるのはチャールズ・ホーマンの事件です。31歳の米国人ジャーナリスト兼映画監督のホーマンはクーデター時にチリに滞在中で、民主的に選ばれた大統領サルバドール・アジェンデの追放に対する米政府の関与について執筆しました。その直後、彼はチリ人兵士に拉致され、殺害されました。ホーマンの事件は、息子を捜索するためにチリに渡った父エドマンド・ホーマンを題材にした1982年オスカー賞ノミネート作品『ミッシング』に登場しました。本日は、故チャールズ・ホーマンの妻のジョイス・ホーマンに話を聞きます。ジョイス・ホーマンは、夫の死への関与でピノチェトを告訴し、ピノチェト政権時の人権侵害に関して継続中の調査を支援することを目的にしたチャールズ・ホーマン真実プロジェクト(Charles Horman Truth Project)を設立しました。また、憲法上の権利センター(Center For Constitutional Rights)理事会の副議長で、キッシンジャーらを相手取ったチャールズ・ホーマンの死をめぐる裁判でホーマンの遺族を代表したピーター・ウェイスにも話を聞きます。

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