« 前  

2011年9月12日(月)

  次 »
  • 9.11同時多発攻撃から10年を迎える中、10年ほど前に2人のニューヨーカー、リタ・ラザールとマスダ・サルタンが行った注目の会話を振り返ります。リタ・ラザールは、世界貿易センター27階のブルークロス・ブルーシールドに勤めていた弟のエイブ・ゼルマノウィッツを失いました。エイブは、下半身不随の親友エドを助けるために緊急作業員がオフィスに来るまでは自分もビルを離れることを拒否しました。2人は多くの人々とともに命を落としました。数日後にワシントン大聖堂で行われた演説で、ジョージ.W.ブッシュ大統領はエイブをヒーローと呼び、彼の出来事について触れました。姉のリタはすぐにニューヨーク・タイムズ紙に寄稿し、ブッシュにアフガニスタンを攻撃しないよう求めました。「深く傷ついたわれわれの国が、引き返すための力を持たずに軍隊を派兵するようなことを行わないことを、自らと弟の名で祈ります」。それはまさに、米国がその数週間後に行ったことでした。この10年で数千人もの人々が死亡し、その中にはアフガニスタン出身で9.11当時ニューヨークに暮らしていたマスダ・サルタンの家族も含まれています。彼女はまもなく、家族の19人がアフガニスタンでの米軍空爆で死亡したという報告を受けました。家族は攻撃を避けるために、カンダハルを離れ農場に避難していました。しかしそこで、彼らは爆撃を受けました。マスダ・サルタンがリタ・ラザールと2002年にわれわれのスタジオで初めて出会った際、彼女は生存している家族と再会したアフガニスタンから帰国したばかりでした。爆撃の調査を行いつつパキスタンからアフガニスタン入りしたサルタンによるデモクラシー・ナウ!へのレポートからまずはお届けします。

  • 引き続き、9.11から10年の特集として、米国のシーク教徒のコミュニティーを取り上げます。シーク教は世界で5番目に規模の大きい宗教であり、米国内でも50万人ほどの信者がいます。2001年9月11日のテロ攻撃を受け、シーク教徒の米国人はイスラム教徒やアラブ系米国人と同様の差別を受けました。彼らの格好が目立つことから、暴力と嫌がらせの対象となってしまいました。 デモクラシー・ナウ!のジャイサル・ヌーアが、フリースピーチレディオニュースとの共同製作でこのレポートをまとめました。

  • 今週はもう一つの9.11の悲劇から40年にもなります。アッティカ刑務所反乱です。1971年9月9日、受刑者らがニューヨーク州アッティカの州刑務所の大半を占拠し、監視が非常に厳しかった同刑務所の条件を改善するよう求めました。ネルソン・ロックフェラー州知事は9月13日朝、州警察に同施設突入を命じ、2000発以上の銃弾が無差別に発砲されて受刑者や所員39人が死亡しました。銃撃後、警官隊はさらに多くの受刑者たちに暴行と拷問を加えました。そのうちの多くは重傷を負いましたが、当初治療が認められませんでした。25年に及ぶ法廷闘争の末、ニューヨーク州はついに生存者に1200万ドルの賠償を支払うことを認めました。ニューヨーク市のリバーサイド教会で行われた9月9日の式典「アッティカはわれわれ全員だ(Attica Is All of Us)」の一部をお送りします。同式典には、プリンストン大学の宗教学とアフリカ系アメリカ人研究の専門家で人種問題に関する著作も多いコーネル・ウエストも出席しました。「さて40年が経ち、われわれは再びこの闘いを記念するために戻ってきた。われわれが恐れ、おびえ、常に不安を感じるよう教えられ、互いを信じず、互いを尊重しない人々だと教えられほどに、おびえさせさえられ、トラウマにさせられ、汚名を着せらた人々による闘いを」とウエストは語ります。「だがアッティカの反乱はその方向への対抗だったのだ」

Syndicate content