元チリ陸軍将校 1973 年の米国支援のクーデター直後のビクトル・ハラ殺害で法的責任 

2016/6/29(Wed)
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フロリダ州の裁判で陪審は、1973 年 9 月に起きたチリの伝説的フォーク歌手で活動家のビクトル・ハラ殺害に関し、元チリ陸軍将校ペドロ・バリエントスに法的責任があるという評決を下しました。独裁者アウグスト・ピノチェトが米国に支援されたクーデターで政権を握った直後、ビクトル・ハラは一斉検挙され拷問された末、40 発以上の銃弾を浴びました。バリエントスは 20 年以上米国に居住し、現在は米国籍を取得しています。ハラの遺族は外国で犯された人権侵害を米国の裁判所で審理することを認める米連邦民事法の「拷問被害者保護法(Torture Victims Protection Act )」を使い、バリエントスを提訴しました。ガーディアン紙はこの判定を、「米国の法廷で起きた、外国の戦争犯罪人に対する人権裁判の最大にして最も意義深い勝訴」と報じました。ビクトル・ハラの未亡人ジョーンと娘のマヌエラ・バンスター、そして裁判でハラ家の代理人を務めた正義と責任協会(Center for Justice and Accountability)の事務局長ディクソン・オズバーンをゲストに迎えます。

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