世界中の独裁者を訴える:人権法を改革してきたマイケル・ラトナーの功績を振り返る

2016/5/12(Thu)
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マイケル・ラトナーは60年代から活動家として人権保護に取り組んできました。1968年、コロンビア大学での学生ストライキの時、ラトナーは同大学のロースクールの学生でした。1971年に「憲法上の権利センター」(Center for Constitutional Rights)の一員となったラトナーが、初めて担当した裁判は、ニューヨーク州北部にあるアッティカ刑務所暴動で死傷した囚人のための訴訟でした。ラトナーはラテンアメリカおよびカリブ海地方にも深く関わり、キューバ、ハイチ、ニカラグア、グアテマラ、プエルトリコ他における米国の政策に異議を申し立ててきました。1981年ラトナーは、戦争権限法にのっとるエルサルバドルでの軍の出動に異議を唱える初の裁判を起し、米国が支援したニカラグアの反政府勢力「コントラ」の兵士がレイプ、殺害、そして拷問したニカラグア人被害者の代理人として米国当局者を訴えました。1991年ラトナーは、議会の承認なく対イラク戦争を実行したとして初代ブッシュ大統領の大統領権限に疑問を呈し、「憲法上の権利センター」による訴訟の指揮を取りました。それから10年後、2代目ブッシュ大統領を率先して批判したラトナーは、グアンタナモ基地、拷問、米国内の監視活動、そして2003年のイラク侵攻に関する裁判の支援をしました。ラトナーはまた、「パレスチナ・リーガル」(Palestine Legal)の発足に関わり、米国内でパレスチナ人の人権保護を訴える活動家の権利を擁護しました。ラトナーと親しかった友人で、同じく弁護士の3人に話を聞きます。ヒューマン・ライツ・ウォッチのリード・ブロディ、「憲法上の権利センター」役員のマイケル・スミス、そして同センター代表でピッツバーグ大学法学部教授のジュールズ・ロベルです。

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