ウリ・アブネリ ガザ危機 そしてシオニストの「テロリスト」グループを経て平和活動家となった半生を語る

2014/8/8(Fri)
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72時間の停戦が失効し、ガザでの戦闘が再開されました。イスラエルは、停戦終了後にパレスチナ側が少なくとも18のロケット弾をイスラエル南部に向けて発射した後、空爆を開始したと発表しました。パレスチナ当局は、8日、ガザ市のモスク近くへのイスラエルによる空爆で、10歳の少年が死亡したと発表しています。この攻撃で他にも6人が負傷しました。これに先立ちハマスの軍事部門スポークスマンは、カイロでイスラエルと間接的な交渉を行っているパレスチナ交渉団に対し、長期的な要求が満たされない限り、いかなる停戦延長も拒否するよう要求していました。長年にわたるイスラエル人の平和活動家で、イスラエルに対しハマスと交渉するよう要求してきたウリ・アブネリに話を聞きます。アブネリはイスラエルの平和運動の歴史を築いてきた人物です。1923年ドイツに生まれたアブネリは、家族そろってナチから逃れ、当時パレスチナと呼ばれていた地(現在のイスラエルを含む)に移住しました。青年時代には、シオニストの民兵組織「エツェル(イルグン)」に加わりましたが、後に脱退し、イスラエル内の平和活動家リーダーの一人になりました。1950年には、ニュース誌『ハオラム・ハゼー』を創刊し、15年後にパレスチナ側との平和共存を掲げてイスラエルの国会議員に立候補し当選しました。1982年には、ベイルート包囲の最中に包囲線を越え、当時禁止されていたパレスチナ解放機構(PLO)のヤーセル・アラファト議長との会見を成し遂げ、トップニュースになりました。1993年には、グッシュ・シャロム(Gush Shalom)平和運動を始めました。9月には91歳になりますが、いまなお週刊コラムを執筆しています。

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