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抵抗運動
コチャバンバ「水戦争」から10年 民営化阻止の民衆闘争をふり返る
ボリビアのコチャバンバでは10年前、最も大切な天然資源である水をめぐり、壮絶な「水戦争」が起こりました。その数カ月前にはシアトルで、WTOへの抗議行動で総会が中止になっており、時を同じくして米大陸の南北で企業中心のクローバリゼーションに対する民衆の抵抗を象徴する事件が置きました。コチャバンバ市では政府が米国企業ベクテルに水道管理権を売り渡したことに危機感を抱いた民衆が一斉に立ち上がり、契約取り消しをもとめて広場を占拠しました。政府は軍を投入し、戒厳令を発令して弾圧しましたが、「水の権利」を守ろうとする民衆の反乱には勝てず、結局は民衆の要求に屈しました。2月と4月の二度にわたる壮絶な街頭闘争の結果、ボリビアの民衆はベクテル社を追い出しました。水戦争の当時、住民側の組織で重要な役割を担当したはたしたマルセラ・オリベラに当時の話を聞きます。
シアトルの反WTO闘争から10年
<前半>調査ジャーナリストのグレッグ・パラストは、ジュネーブの世界貿易機関(WTO)本部で、パスカル・ラミー事務局長に直撃インタビューを行い、WTOが過去10年の間にどれほど変化したか、また同組織にとっての優先事項がどう変わったかをさぐりました。米国発の金融危機がまたたくまに全世界に広がった「障壁撤廃」の破壊力を目の当たりにして、少しは反省したのでしょうか?
<後半>10 年前の1999年11月30日、米全土そして全世界から何万人もの人々がシアトルに集結し、WTO会議を中断に追い込みました。これに対し警官隊は、催涙ガスやゴム弾で応戦し、数百人が逮捕されました。企業中心のグローバリゼーションに対する市民側からの抵抗運動の始まりとなった伝説の「シアトルの闘い」について、マスコミがゆがめた真相やその後の展開、現在の関心などについて、当時シアトルの抗議運動を組織した2人の活動家に聞きます。
パレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュ死去
パレスチナを代表する詩人、マフムード・ダルウィーシュが8月に亡くなりました。持病の心臓病の悪化のため米国で手術を受け、そのまま帰らぬ人となりました。遺体はパレスチナのラマラに運ばれ、ヤセル・アラファートに次ぐパレスチナで2人目の国葬が執り行われました。彼の死を悼み、パレスチナでは3日間の喪服期間が宣言されました。一介の詩人が、これほどまでに人々に敬愛され惜しまれるのはなぜなのでしょう? 「敗北したトロイの語り部になろうと決意した」というダルウィーシュが、パレスチナやアラブ世界全体にとってどんな存在意義を持ったのか話し合います。
ガザ解放船がキプロスを出航
漁船を改造した2隻の船が今日キプロスを出ました。目的地はガザです。イスラエルの封鎖に抗議し、ガザ解放を世界に訴えるため、17カ国から集まった40人以上の人々が乗り込んでいます。イスラエルは、ガザからは撤退したといいながら、国際赤十字や人道団体援助の立ち入りさえ許さない非人道的な封鎖をつづけているからです。イスラエルは彼等を海賊とよび、ガザに近づけば実力で阻止すると宣言しました。リバティ号とフリーガザ号の船上から3人の活動家の話を聞きました。
パレスチナ人俳優モハメド・バクリ ジェニン侵攻の記録映画の制作で被告席へ
イスラエルのパレスチナ人俳優モハメド・バクリ(ムハンマド・バクリー)は、舞台演劇や多数の映画への出演で国際的に知られています。彼が出演した 1984年の映画『』は米国アカデミー賞の外国映画部門にイスラエル作品としてノミネートされており、イスラエルを代表する役者の一人といえます。しかし 2002年、イスラエル軍の難民キャンプ攻撃に関する記録映画『ジェニン・ジェニン』を撮って以来、国内のマスコミからバッシングを受け、映画の仕事も干されてきました。挙句の果てに、作戦にかかわったと称するイスラエル軍予備役兵5人から告訴され、裁判の成り行きしだいでは投獄の可能性も否定できない状況です。中東で唯一の民主主義国を標榜し、表現の自由を自負するイスラエルですが、それにしてはお粗末な対応です。「まるでカフカの小説の世界」というバクリの感想は、国内のパレスチナ人マイノリティによる発言であることを考えれば、相当に毒があります。 (19分)











