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ハイチ

ハイチ地震現地報告 震源地レオガンを行く

デモクラシー・ナウ!のスタッフは、震源地レオガンに向かいました。外国のメディアが入ったのはこれが初めてだったらしく、貴重な映像です。 被災者たちは口を揃えて、外部からの助けがまったくないと訴えます。医師も救援隊も到着せず、ヘリコプターが上空を飛んでも着陸はしません。瓦礫の下からは耐え難い死臭がただよい、住民たちは素手で亡くなった者たちを掘り出しています。

ハイチ地震現地報告 「治安上の危険」が救援物資や配給を妨げる

ハイチではM7の地震で200万人が家を失い20万人の死者が出ました。地震から一週間後の首都ポルトープランスでは、生存者が避難の準備を進めていました。食糧や医療品の深刻な不足の中、伝染病の発生も心配され、約40万人が首都脱出を待っています。米国から数千人の重装備の兵士が首都に到着しました。掠奪や暴動を防ぐためと称して、まるで軍事占領の様相です。しかし、肝心の救援物資は人々に行き渡ってないようです。いったい、なにが問題なのでしょうか?

ハイチ地震現地報告 「軍隊よりもガーゼを」首都総合病院

M7の地震で壊滅的な被害を受けてから1週間、いまだ余震に揺れるハイチにデモクラシー・ナウ!の取材班が入りました。 首都ポルトープランスには救援物資とともに重装備の米軍兵士が多数派遣されており、「まるで軍事占領のようだ」とベネズエラのチャベス大統領は言いました。しかし、それらの救援物資は必要とする人々の手に届いていません。死者の数は20万人を超える見込みです。ハイチの人口の1/3にあたる約300万人の人々が直接の地震被害に遭い、その半数は家を失いました。 エイミー・グッドマンがポルトープランスの総合病院から報告します。

ハイチの食糧暴動をもたらした米国の政策

1980年代から90年代にかけてカリブ海、中南米、アフリカ、アジアの貧困国はある条件と引き換えにIMFや世界銀行から借金をしました。その条件とはIMFや世銀が青写真を作った構造調整プログラムと呼ばれる政策を実行するというもので、租借国は医療や教育などの公共サービスの民営化、貿易や為替への介入の縮小による自由市場経済の推進など、機能を縮小した所謂「小さな政府」を目指すことを約束させられたのです。今年4月にハイチをはじめとして世界各地で暴動を引き起こした食糧価格の高騰による飢饉の原因はこの数十年前に行われた開発政策の弊害が現実化したものだという指摘がされています。

ハイチの苦難の歴史 黒人奴隷革命から大統領拉致まで

 民主的に選ばれた大統領が、未明に官邸を襲った他国政府の要員によって拉致され、国外に追放される。こんな無法な事件が4年前ハイチで起こりましたが、その事実は大手メディアでは報道されていません。カリブ世界の最貧国、政情不安のつづく破綻国家で、またもや軍事クーデターが起こったと片付けられているようです。ハイチはフランス革命時代に黒人奴隷が蜂起しフランスから独立した世界最初の黒人共和国です。その輝かしい歴史のために、この国は大きな代償を支払わされてきました。独立以来たえまなく続く欧米の敵意と干渉について、2004年のクーデターの詳細と、その後の現地情勢を調査したランダル・ロビンソンが語ります。 (46分)