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タリク・アリ
タリク・アリ パキスタン民衆の勝利を語り、「社会主義の再考」を促す
パキスタンでは3月に政府が市民の激しい抗議運動に屈して、ムシャラフ元大統領の時代に解任された最高裁判所主任判事イフティカル・チョードリーを復職させました。チョードリ判事は司法の独立を貫き、法律を条文どおりに実行する数少ない判事として民衆の絶大な支持を受けています。判事の復権は民衆の勝利であると、英国の作家タリク・アリは高く評価します。しかし、そうした国民の祝賀ムードに水をかけるように、米国はパキスタンへの越境攻撃を行い、民間人9人が犠牲になりました。これは米国の手先とみなされているザルダリ現大統領の立場を危うくし、パキスタン軍も動揺させます。パキスタンが不安定化すれば、インドを含めた南アジア全体に影響が波及するきわめて危険なゲームだとアリは指摘します。
バラク・オバマと米国の外交政策の今後
2008年11月4日の夜、歴史的勝利が判明すると、次期大統領バラク・オバマに世界中から続々と祝辞が寄せられました。米国民のみならず世界の多くの人々にも、オバマ選出は時代の画期ととらえられました。しかし実のところオバマの外交政策の姿勢とはどのようなものなのでしょうか?また米国の外交政策の戦略ポイントに位置づけられる国々の住民は、新政権に何を期待しているのでしょうか?
「米国覇権の経由地パキスタン」タリク・アリ
2008年9月15日パキスタンの国境警備軍が、アフガニスタンからパキスタン領内に侵入しようとした米軍を撃退したと報じられています。これ以前にも米軍の越境攻撃でパキスタンの村人が殺害されており、数週間にわたり空爆も続いており、パキスタン国内には米軍への敵意が高まっていました。パキスタンと米国の危険をはらんだ関係を新たな視点で描いた新作『対決:米国覇権の経由地パキスタン』を発表したタリク・アリに話を聞きます。
あれから40年 タリク・アリの「ストリート・ファイティング・イヤーズ」
英国で活躍する作家タリク・アリはベトナム戦争最盛期の1960年代に、ヘンリー・キッシンジャーや英外相(当時)マイケル・スチュワートと行った討論で、アメリカで一躍有名になりました。彼はベトナム反戦運動に身を投じ、1968年ロンドンの米国大使館前で反戦抗議デモで指導的役割を演じました。革命新聞Black Dwarfの編集を通じて、ストークリー・カーマイケル、マルコムX、ジョン・レノン、ヨーコ・オノなど大きな影響力を持つ人々と親交を結びました。40年後の今、アリは「ニューレフト・レビュー」誌の編集者を努め、作家として活躍するかたわら、米国の外交政策への批判を唱え続けています。世界的な広がりを見せた1968年の民主化運動を、ベトナム解放闘争への共鳴という視点から振り返るアリは、わすれられがちな第三世界での広がりにも目配りしたうえで、イラク反戦運動との比較により、40年後の現在の状況を考えます。
チャベスと希望の枢軸 タリク・アリの新著『カリブの海賊』
1998年の初当選以来、中南米の台風の目となってきたチャベス大統領は、従来の対米従属に代わる新しい世界観を打ち出し、キューバやボリビアを巻き込んで希望の枢軸を形成していると、タリク・アリは述べます。「イラクの状況は、あまりにも絶望的です。いま必要なのは、世界は変えられるという希望を与える本だと思いました。アラブ世界の絶えまない流血は心を暗くしますが、中南米に目をやれば、かつては米国の支援する独裁者が民衆の運動を力で抑えていたのに、いまやチャベスやモラレスが民主的に選出され、選挙で公約したとおりの政策を実行しています。新自由主義の深い眠りから、この世界をゆり起こすのは可能なのです」。
だれがベナジル・ブットを殺した? 混迷深まるパキスタン
2007年12月27日パキスタンのベナジル・ブット元首相が暗殺されました。1月8日に予定されていた首相選挙を目前に最有力候補が暗殺されるという事件の衝撃で、パキスタンは大きく揺らいでいます。暗殺の知らせが伝わるとパキスタン各地で暴動が起きました。政界に大きな穴があいたパキスタンの今後は濃い霧に包まれています。隣国アフガニスタンではタリバンが勢力を盛り返しつつあり、危険な状況も指摘されています。パキスタン出身でロンドンに住む作家・活動家のタリク・アリとシカゴの歴史家マナン・アフメドが、現在の危機を過去にさかのぼって分析し、パキスタンの政治一家に生まれたベナジル・ブットの波乱の生涯にからめて語ります。 (前半30分 後半16分)











